新海誠監督の代表作『秒速5センチメートル』は、美しい映像と繊細な描写で多くのファンを魅了してきました。
一方で、ネット上では、
「ストーカーみたいで気持ち悪い」
「嫌い」
といった意見も少なくありません。
秒速5センチメートルのサジェストの1番上が気持ち悪いだったからニチャってしまった
— は(ろる)と(゛) (@fragment_0) September 19, 2023
ということで、この記事では『秒速5センチメートル』を気持ち悪い・嫌いと感じる理由と結末の意味について、女性目線で考察・解説していきます。
【秒速5センチメートル】主な登場人物
- 遠野貴樹(とおのたかき)…主人公。
- 篠原明里(しのはらあかり)…ヒロイン。転校して、貴樹と離れ離れになる。
- 澄田花苗(すみだかなえ)…貴樹に恋する少女。
『秒速5センチメートル』が気持ち悪い・嫌いと言われるのはなぜ?【女性視点で考察】
※以下ネタバレを含みます。ご注意ください※
気持ち悪い理由1:「そこに愛がない」から
この気持ち悪さの正体は、
「明里への感情の正体が、愛情ではないから」
これに尽きると思います。
筆者が最初に気持ち悪いと感じたのは、“クラスメイトたちに冷やかされて黒板に相合い傘のいたずら書きをされたシーン”。
貴樹は怒ったような顔になり、明里の手を引っ張り、教室から走って出ていくのです。
「…え?」
そのあとどうするつもりなんだろう。
早退したりサボるわけではないだろうし(逃げてるみたい)、また早いうちにクラスに戻ることになるはず。
ビシッとクラスメイトたちに「からかうのやめろよ!」と言ったり逆に認めたり、どちらかあれば明里は嬉しかったように思うのですが。解決しようとしてないというか、1番困るアクションに思えます。
思い起こせば、最初から明里に対する“愛情”と呼べる行為はなかったように思います。
具体例は以下になります。
- 明里から電話で転校を告げられたとき→拗ねる
- 明里から校舎でお別れを告げられたときに→拗ねる
- 駅の待ち合わせに大幅に遅れたのに待ってくれていたとき→「ごめんね」「ありがとう」の言葉や体調への気遣いは無し
- クリスマスの電話→居留守
- 唯一続けていた文通→明里にとって苦痛だった
などです。
気持ち悪い理由2:「童貞の妄想みたい」だから
秒速5センチメートルはね、ツッコミどころ多すぎたし童貞の妄想が過ぎるし見てて痒くて仕方なかったけど君の名ははまだ素直に見れたな
— 黒塗りの李徴 (@Richoo_810) December 23, 2017

雪の影響でダイヤが大幅に乱れ、待ち合わせに遅刻してしまう貴樹。明里は駅の椅子で待っています。
中学生の娘を放置する親
まず違和感を覚えるのは、中学生の娘を夜7時に1人で駅まで行かせる親。
しかも、明里と貴樹は幼少期から病弱という設定。普通なら心配になりそうなものなのに、電車が止まっている間、親からの連絡や駅員の動揺も一切なく、放置されている少女。
この「誰も気にしない」空間が、まるで夢や妄想の中の出来事のように感じられます。
納屋(小屋)で一晩明かすという非現実的さ

吹雪のなか、暖房のない納屋を宿に選ぶ二人。
「実家に帰れば温かくて安全なのに、なぜわざわざ薄暗い納屋で…?」
そこに偶然、女の子が手づくりお弁当を拵えてきていて(夜ご飯の問題をクリアで)、キスして、納屋で二人きりになる展開になります。漫画的です。
なぜ凍死しないの?
秒速5センチメートル、冬の小屋で一夜暖めあって過ごしたっていう回想で雪国民は「凍死するわ」って突っ込んだことだろう。
— 429 (@Balladorion) January 1, 2018
さらにツッコミどころは、極寒の環境で納屋で古い毛布1枚だけで一晩生き延びるという点。
そんな状態で一晩過ごせば、本来ならば、震えが止まらず、ロマンチックとは程遠い結末を迎えるでしょう。
この展開に、SNS上では、実際に現地に住んでいる(もしくは住んでいた)視聴者から、
「その程度で電車止まらない」
「栃木はそこまで田舎ではない」
「そこまで雪深くならない」
「その時代に大宮駅にスタバはない」
など現実的なツッコミが続出することに!
一見ロマンチックに描かれているシーンですが、冷静に見れば「え、それ現実的にあり得る?」と思う要素が重なっていました。
まとめると、実際に降りかかるいくつもの問題をスルーして、男の子に都合の良い展開がギュっとつまっているところが、「童貞の妄想みたいで気持ち悪い、嫌だ」と言われるポイントになっていると思います。
気持ち悪い理由3:「1000通のやり取りして1センチしか距離が縮まらない」から
1000通のやり取りして1センチしか距離が縮まらないのは気持ち悪いですね。
100通くらいならまだしも、1000通。もし楽しいやり取りなら自然と距離は縮まるはず。
もし魅力的な言葉のやり取りが描かれていれば、「貴樹は素敵なのにな」と思えたかもしれません。けれどそのやり取りの中身は視聴者に全く見せられていません。
結果として、
「1000通のやり取りして1センチしか距離が縮まらないような内容だったのか…気持ち悪いな」
という解釈になってしまうのです。
一方で、貴樹は明里に好意を抱いていました。
明里は愛想が良い分、貴樹がずっと受け身だったり、反応が薄かったりで疲れてしまったのではないでしょうか。
もし貴樹が本当に明里を好きだったのなら、1センチしか距離を縮められないのは気持ち悪いですし、
逆に好きでなかったとしたら──気持ちがないのに1000通もやり取りを続けた行為がやはり気持ち悪い。その気がないなら「ない」と伝えてあげてほしいものです。
結局どちらに転んでも、観ている側は「なぜそんな関係が続いたのか」とモヤモヤしてしまうのです。
気持ち悪い理由4:「主人公がストーカーみたい」だから
内面と外面の温度差

手紙の内容を全て覚えていること自体は、すごく嬉しかったんだな、と微笑ましく感じました。
…しかし、それほどの熱量がある割に、彼はひとつも言葉にしません。
行動にも移しません。
仮に気持ちを少しでも言葉にして伝えていたら、また印象は変わっていたはず。
きっと、貴樹が手紙の文面を全て覚えているだなんて、明里は予想すらしていなかったでしょう。
つまり、「密かな一方的な熱量」=「ストーカーっぽい、気持ち悪い」という印象になってしまうのです。
未練たらしく、想いを引きずっている
秒速5センチメートル実写化か…主題歌は同じ曲使われないといいな…あの曲ストーカー軽くフラッシュバックするから聴きたくないんだよね…また頻繁に流れるようになると思うと怖い…
— ma (@mamlje5) September 22, 2024
秒速5センチメートルはストーカーの話しっていうの、妙に納得してしまった(´∀`;) 未練すごすぎて紙一重よね
— 蛍 (@houtaruu) February 17, 2017
ラストシーンで、貴樹は、あらゆる時間や場所で明里の姿を探し続けます。
クライマックスのその様子が、ストーカーじみていて気持ち悪いと感じる人は少なくありません。
なかにはトラウマを刺激される人も。
しかも明里には彼氏がいます(もし恋人同士だったなら話は変わってくるでしょう)
女性視点でいうと、貴樹には惹かれる要素が見当たりません。
「明里は貴樹のことが今でも好き」な設定ですが、公開エピソードに説得力がないために、一部の女性視点だと「童貞の妄想・ストーカー」感が強く、気持ち悪く感じてしまうと結果になりました。
【秒速5センチメートル】なぜこの結末なのか考察!
『秒速5センチメートル』の結末は男女の恋愛観の違いを表しているといえます。
例えば、以下の例えは有名です。
- 男性はフォルダを分けて保存する⇔女性は上書きする
- 男性は過去の恋愛を忘れられない⇔女性は過去の恋愛を忘れる
男性は過去の恋愛を引きずるといいますが、これらには、男性は相手されいれば、沢山子孫を残せるけど、女性はそうでないという生物学的な要素も影響していると思います。
最後に主人公が吹っ切れたように微笑んでいますね。
現実を目の当たりにし、ようやく「初恋」が幕を下ろしたのだと思います。
結末はリアルなものになっています。
男子ってああいう感じの未練ある創作多い気がするんだけど、そういうものなのかしら
— さつき (@stkbare) March 25, 2019
この問題でいつも思い出すのよ秒速5センチメートルを
女子からするとちょっと気持ち悪いまであるんだけど、あれ普通なのかなあ
おそらくまつどんさんが鑑賞されたのは「秒速5センチメートル」だと想定してお話しますね。「君の名は。」以前の新海誠監督はそれはもう気持ちの悪い童貞マインドの妄想話を全力で振り切って書く一般女性からみたらきもさ120%の作品を作る方なんですね。我々はそこがいいんですが。
— にくおう@ミートパラダイス (@nikuou_dq10) August 19, 2019
本記事では映画『アリスとテレスのまぼろし工場』について、「気持ち悪いと感じたシーン・気持ち悪い理由・感想」などについてま…
『秒速5センチメートル』を観た筆者のネタバレ感想レビュー
気になった点
まとめると、モノローグがポエム調なことも相まって、「初恋の物語」というより「初恋に恋する物語(自己陶酔?)」の印象が強いです。全体を通して何を伝えたかったのかよく分からず、モヤっと感が残ってしまいました。そこが気持ち悪いと感じた点です。
原作小説を読んでから観たら、その印象も変わるのかもしれません。
また、作画(?)も気になりました。何故なら、登場人物の顔がほぼ同じに見えたからです。
そのせいもあってか、登場人物たちの人となりが見えませんでした。
家庭や学校(クラス)に個性的な人がいたり、人間関係がかいま見える描写がもう少しあったりしても良かったのかなと思います。
まるで主要人物たちの周囲の空間は止まっているような印象を受け、生活感が感じられないところも現実感を薄めていました。
映画と小説では表現できる量が違いますから、映画で理解できなかった分を補完することができそうです。
良かった点
主題歌『One more time,One more chance(山崎まさよし)』に乗せて、想い人の姿を探しているシーンはいたく感動しました。
そこにいるはずがないのに、大切なひとと似た背格好の人を見つけると、「もしかしたら」と思ってしまうのはあるあるなのではないでしょうか。
「手紙の文面を全て覚えてしまう」というのも、すごく嬉しかったんだろうなと伝わってきます。
あとは、楽しみにしている予定があって、「電車の区間、一駅一駅がすごく長く感じる」という描写も、もどかしさが表れていて良かったです。
人気作品ですから、視聴者の心の琴線に触れるポイントは多いのだと思います。
「どこかに似たような経験があり、感情移入できた」部分に感動できたのだと思います。
本記事はジブリ映画『コクリコ坂から』が気持ち悪いという声・メルと俊の関係について分りやすくまとめてご紹介しています。…
【秒速5センチメートル】気持ち悪い・嫌いと言われる理由と結末について考察まとめ
今回はアニメ映画『秒速5センチメートル』の気持ち悪い・嫌いと言われる理由や結末について考察し、まとめてみました。
『秒速5センチメートル』は人気があり、評価の高い作品です。後からあれこれ考えさせられるのは、本作に感情を揺さぶる魅力があるからでしょう。
ご参考になりましたら幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

