映画『かくしごと』について。 『生きてるだけで、愛。』で知られる関根光才監督の待望の長編第2作で、原作小説は北國浩二氏の『嘘』です。
映像化にあたってタイトルが変更された本作。「原作と名前が違うけど、内容はどう変わったの?」と気になりますよね。
そこで本記事では、映画と原作のふたつの媒体を堪能した筆者が、物語の根幹に関わる「ラストシーンの違い」や、それぞれの媒体ならではの魅力を徹底比較します。
※以下、物語の核心に触れるネタバレを含みます。
映画『かくしごと』作品情報
| 作品名 | 『かくしごと』 |
|---|---|
| 公開日 | 2024年6月7日 |
| 監督 | 関根光才(『生きてるだけで、愛。』) |
原作小説『嘘』作品情報
| 作品名 | 『嘘』 |
|---|---|
| 発売日 | 2011年7月9日 |
| 出版社 | PHP研究所 |
| 作者 | 北國浩二 |
【あらすじ・ストーリー】
主人公・千紗子は、認知症の父親のために嫌々田舎へ戻ってきた。ある日、痣だらけの少年と出会う。
事故で記憶を失っているのをいいことに、千紗子は“私が母親”だと嘘をつき少年を守る決意をする。
千紗子・少年・父親の奇妙な共同生活が始まる――。
物語の先に待つ『結末』が、映画と原作では大きく異なります。
映画『かくしごと』と原作小説『嘘』の違い3選(ネタバレ注意)

まずは、筆者が感じた違い3点を一覧で完結にご紹介します。
| 比較ポイント | 映画『かくしごと』(杏 主演) | 原作小説『嘘』 |
| ラストの告白 | 拓未が「洋一の記憶がある」と告白する | 拓未は最後まで記憶があることを隠し通す |
| 千紗子の結末 | 告白により救いがある展開 | 刑務所へ。拓未の嘘は揺るがない |
| 実母の描写 | 受動的で男の言いなり | 積極的に虐待に加担する攻撃的な人物 |
以下に詳しく解説します。
ラストシーンの違いを比較
映画と原作の大きな違いは、ラストシーンです。
映画版
映画では、拓未が「洋一の記憶がある」ことを告白します。
例の出来事によって、千紗子(演:杏)が起訴される点は同じです。しかし拓未(演:中須)の行動に違いが見られました。
小説原作
原作小説では、拓未は「洋一の記憶がある」ことを告白しません。
よって、千紗子は刑務所入りします。
母が刑務所にいる間も、拓未は「嘘」をついたままです。どの状況下でもその意思を曲げません。
このように、原作小説には「裁判」のその後のストーリーが存在するため、登場人物たちのその後について触れられていることもひとつの特徴です。
人物の違いを比較
洋一の母親の印象が違います。
映画版
映画では「男の言いなりになる女」という印象でした。
小説原作
原作小説では「積極的に危害を与える女」という印象でした。
それぞれの人物や関係性について、より鮮明に描かれています。
映画版と原作小説の感想比較【良さについて】

映画版
情景が美しいです。
面積の82%が森林だという豊かな伊那市を舞台に、ストーリーが展開されます。
千紗子(演:杏)の自然体な母の姿が魅力的でした。男の子は可愛いらしく、たとえ犯罪者になっても守ろうとする気持ちを理解することができました。
とくに父親(演:奥田)の演技がリアルで、胸が締め付けられること間違いなしです。なんと、本人曰く撮影中の記憶が殆どないのだといいます。
小説を読んだときは色々考えたけれど、「理屈じゃない」と思わせられました。
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原作小説
情報量は本の厚み以上です。
ストーリーは勿論、認知症の知識・理解が深まります。登場人物と共に成長でき、いざ問題に直面したときのワンクッションとなってくれるはず。
現実味を帯びており、最後の拓未の選択についても、“何故そうしたのか”見えてきます。
終盤は涙が止まりませんでした。
自己投影してカタルシス効果を得るも良し。客観視して自分を見つめ直すも良し。
苦しくも美しい物語です。
まとめ:映画『かくしごと』原作との違い
今回は映画『かくしごと』について映画と原作の違いについてまとめてみました。
主に結末拓未の選択とその後について違いがみられ、それぞれの作品が残す余韻に影響を与えています。
気になった方は、ぜひこの機会にふたつの作品を楽しんでみてください。