映画『言の葉の庭』の小説と映画の違いとは?
この記事では、実際に映画を観て小説も読んだ筆者が、「ここが違う!」と感じたポイントをご紹介していきます。
『言の葉の庭』の小説と映画の違い4選
※『言の葉の庭』の原作は映画であり、小説版が後出です(=ノベライズ)。
社会現象にもなった名作『君の名は。』で知られる新海誠さんの6作目です。
- 小説でしか語られないエピソードがある。
- 小説は「群像劇」。
- 小説の方が心理描写が深い。
- 雪野先生は絶世の美女
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違い1:小説でしか語られないエピソードがある。
まず、小説版『言の葉の庭』では、映画で語られなかったエピソードが盛りだくさんです。
例をあげると、
- 主人公が靴職人を目指す切っ掛けとなるエピソード
- 主人公の兄が彼女と同棲するまでのエピソード
- 主人公のバイト先の人々とのエピソード
- 母親のエピソード
- 雪野先生の学生時代のエピソード
- 雪野先生と元カレのエピソード
- 相澤(雪野先生をいじめていた女子学生)のエピソード
- その後のエピソード
などがあります。
作者が同じなこともあり、映画と小説で改変はなく補完のみ。気持ちよく読めます。
映画では目立たなかった登場人物たちの背景を知れて、いっそう味わい深いです。
違い2:小説は「群像劇」
小説と映画では、構成が違います。
映画はまるで2人の世界。「孝雄」又は「雪野先生」の視点で物語は進み、
一方、小説は群像劇(=多くの登場人物視点で語られている)です。読み応えがあります。
視点が切り替わることで、登場人物の心情を察することができるので、面白いです。
違い3:心理描写が深くキャラクターが掘り下げられており、感情移入しやすい。
「様々な登場人物にスポットライトがあたるため、感情移入しにくいのでは?」――いいえ、むしろ逆です。
小説ならではの巧みな心理描写で、それぞれのリアルな悩みを通じ、感情移入しやすくなっています。
違い4:雪野先生は絶世の美女
小説版では、雪野先生は絶世の美女であることが語られています。
…どれくらいの美女かというと、その容姿が原因で生きづらくなるレベルです。
個人的に、映画だけでは伝わらなかったポイントです。
小説『言の葉の庭』のあらすじ
起
主人公・秋月孝雄は、将来は靴職人を目指す高校1年生の少年。
ある雨の日、授業をさぼって、新宿御苑の東屋に向かう。そこで、ミステリアスな年上女性・雪野百香里と出会う。
承
孝雄は夢に向かって努力を続け、雪野は心に傷を抱えながら、雨の日ごとに東屋で会うようになる。会話を重ねるうちに、お互いに惹かれていく2人。
やがて梅雨が明けて会えない日々が続く。
転
孝雄は雪野が学校の古典教師だったことを知る。孝雄は雪野に嫌がらせしていた生徒に立ち向かい、雪野に会いに行く。
孝雄は、孝雄は雪野先生に素直な想いを告げる一方、雪野は気持ちをうまく伝えられず、2人はすれ違う。
結
その後、孝雄と雪野は和解。さまざまな思いを胸にそれぞれの道を歩み始める。
孝雄は靴づくりを学ぶため海外へ。
雪野は教師を辞めて地元・四国へ。
数年後、ふたりは雨上がりの東屋で再会する。
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映画より面白いかも!小説『言の葉の庭』の感想
面白いです。
映画と同じ作品でありながら別物です。
私自身、小説が後出ということを知らずに読み始めたので、「どうして、映画ではこんなにカットしたの?、魅力的なエピソードばかりなのに……」と疑問を抱きながら目を通したものです。
それで、読了後に映画ノベライズだと知って納得しました。
もし小説が原作であれば、長編映画になったのではないでしょうか?
また実写版もアリと思えるほど、リアルな社会が描かれています。
映画は、まるでポエムのなかにいるような淡い世界観ですが、小説は幻想的というよりはリアルな社会のなかに癒しを感じさせてくれる物語です。
『言の葉の庭』小説と映画の違いについてまとめ
今回は、『言の葉の庭』の小説と映画の違いについてまとめてみました。
この記事では、
- エピソード数の違い
- 作品の構成の違い
- キャラクターの掘り下げ具合の違い
- 雪野先生の容姿のイメージの違い
の4点を主な違いとしてあげました。
それぞれ好みがあると思いますが、個人的には小説版のほうが好みでした。気になった方は、ぜひ読んでみてくださいね。
最後までご覧いただきありがとございました。