映画『流浪の月(るろうのつき)』についてです。
映画『流浪の月』では、文の下半身が一瞬だけ映るシーンが話題になりました。
リアルに見えるあの場面を「どうやって撮影したのか?」と気になった方も多いでしょう。
本記事では、
- 文の下半身はどうやって撮影したのか
- 文の病気(病名)や母親の真相
- 最後のセリフ・シーンについて
について徹底的に解説します。
「そう、それが気になってたの!」という方はぜひご覧くださいませ。
【流浪の月】主な登場人物&キャスト・ストーリー
主人公・更紗(さらさ)は、幼い頃に誘拐されたせいで「かわいそうな被害者」の烙印をおされた女性。婚約者ともうまくいかず、自分の居場所を見つけられずにいた。
15年の時を経たある日、更紗は、“幼い自分を誘拐した犯人”・文(ふみ)と再会する。彼は世間からロリコンとして白い目を向けられていた。
しかし、大人になった更紗は、再び文の傍にいたいと願うのだった――。
【流浪の月】下半身をどうやって撮影したの?
現時点で、公式から『流浪の月』の下半身シーンの撮影方法に関する発表はありません。
しかし、映画撮影の現場では一般的に以下のような手法が使われます。
● 「前貼り」とは?
「前貼り(まえばり)」とは、俳優の局部を隠すために使用する特殊なカバーのこと。
肌の色に近い素材を肌に直接貼り付け、撮影後は簡単に剥がせるタイプが主流です。
この方法によって、リアルさを保ちながら俳優のプライバシーを守ることができます。
● 「特殊メイク」でリアルさを演出
作中の文は、下半身に病気を抱えているという設定があります。
この描写を自然に見せるために、特殊メイクやライティング(照明)技術が用いられたと考えられます。
暗めの照明やぼかしを使うことで、加工を自然に見せることができるのです。
文の下半身シーンは本物?結論:本物ではない可能性が高い
結論として、文の下半身シーンは本物ではないと考えられます。
その理由を具体的に見ていきましょう。
- 俳優のプライバシー保護のため、実際の映像は使用しないのが一般的。
- 年齢指定(R指定)を避けることで、より幅広い観客層に届けるため。
- 下半身の病気設定をリアルに再現するために、特殊メイクやCG処理が必要。
- 日本国内で、実際の局部を映す作品は極めて少ない。
これらの点から、『流浪の月』でも「前貼り」+「特殊メイク」などを用いた演出である可能性が非常に高いと言えます。
撮影方法を知ると、作品のリアリティがより深く理解できる
『流浪の月』の下半身シーンがどうやって撮影されたのかを知ると、
俳優の演技力や撮影スタッフの技術の高さに改めて驚かされます。
リアリティを保ちながらも、プライバシーや映倫の基準をしっかり守る──
それが映画制作のプロの仕事なのです。
文の下半身の病気(病名)は?

史の下半身の病気(病名)は、直接名言されていませんが、複数の共通点から「類宦官症(るいかんがんしょう)」だと考えられます。
『流浪の月』の原作小説での史の描写「若く見える」「腕が長い」がヒントとなっています。
これには「類宦官症」特有の
- 下半身の陰茎が小さい
- 二次性徴発現の異常
- 骨端線が閉鎖しないため手足が長い
という症状が当てはまります。
以上のことから、史の下半身の病気(病名)は「類宦官症」であると推測できるのです。
【関連記事】『流浪の月』ケチャップの意味は?気持ち悪いのはなぜ?
史の母親について
史の母親は、病気の息子を愛することができませんでした。
母親の気持ちが描写されているシーンとして、史に「僕はハズレですか?」と聞かれて否定できなかったシーンや、
母親がトリネコの小さな苗を引っこ抜くシーンで、文はそれに自身に重ね合わせているシーンが挙げられます。

ではなぜ、母親は文を受け入れることができなかったのでしょうか。
それは恐らく、彼女がこれまで順当な人生を歩んでいたからこそ、現実を受け入れられなかったのではないでしょうか。
広いリビングや立派な庭から、史の母親はそれなりの家と予想できます。
【流浪の月】最後のセリフは?
最後のセリフについて気になっている人が多いです。最後のセリフは、
引用元:映画『流浪の月』│Uno Films文:「いいの?、僕といたらどこに行っても……」
更紗:「そしたらまた、どこかに流れていけばいいよ」
です。
“今後も、史は特定されて街を追い出されてしまう可能性があるけれど、更紗はそれでいい”
という意味です。
更紗にとっては、どこにいるかではなく、史の隣にいられることが重要なので
だからです。
最後のシーンの意味は?
史は、結局ロリコンではなかった
史はロリコンというわけではありませんでした。
ではなぜ更紗を誘拐したのかといえば、史は、
「同世代の女性とつきあえないのは、病気ではなくロリコンのせい」
と思いたかったからです。
ケチャップの意味や気持ち悪いと言われる理由・原作との違いについては、別記事でご紹介しています。
ふたりの恋愛の障害が一致していた
「更紗は大人になるけど、僕は大人になれない」――この文のセリフは、病気の背景があったからでした。
史は下半身の病気のせいで性行為ができません。
しかし更紗もまた、性被害に遭ったせいで、性行為に前向きになれませんでした。
ふたりならこの症状を抱えつつも、罪悪感をもたずに寄り添ってうまくやっていけそうだ、と思わせてくれるラストです。
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映画『流浪の月』の作品情報
作品名 | 『流浪の月』 |
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公開日 | 2022/5/13 |
制作国 | 日本 |
上映時間 | 150分』(2時間30分) |
監督 | 李相日 |
脚本 | 李相日 |
主演 | 広瀬すず、松坂桃李 |
【流浪の月】文の下半身どうやって撮影したのか・病気(病名)・ラストまとめ
今回は映画『流浪の月』の下半身シーンの撮影方法、文の病気や母親、ラストについて徹底的にまとめました。
もう一度まとめると、
- 文の下半身をどうやって撮影したのか……公式発表はないが、一般的な撮影手法から見て「前貼り+特殊メイク」が有力。
- 文の病気(病名)……「類宦官症」という下半身の病気が有力。
- 史の母親……病気の息子を愛せなかった。
- 最後のセリフ……「そしたらまた、どこかに流れていけばいいよ。」
- 最後のシーンの意味……史はようやくコンプレックスを打ち明け、更紗と共に穏やかに暮らす未来が案じられる。
以上の結果となりました。
コンプレックスを打ち明けるのには相当な勇気がいったと思います。”口で説明するよりも実際に下半身を見せるほうが楽”だという文の心境はリアリティがあり、胸が痛みました。
最後までご覧いただきりありがとうございました。