映画『四月になれば彼女は』についてです。
原作はベストセラー作家で映画プロデューサーの川村元気さんです。
代表作には、『世界から猫が消えたなら』『電車男』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は』などがあります。
話題作ということで気になり、視聴してみることにしました。
本記事では、
- 最後の意味
- なぜこのタイトルなのか
- 原作との違い
- ヒロインはどっちなのか
などについて考察しまとめています。
もしご興味のある方は、ぜひ最後までご覧くださいませ。
以下、ネタバレを含みます。
【四月になれば彼女は】主な登場人物/キャスト
■藤代俊/佐藤健…主人公。
■伊予田春/森七菜…主人公の元カノ。
■坂本弥生/長澤まさみ…主人公の婚約者。
■伊予田衛/竹野内豊…ハルの父親。
■小泉奈々/ともさかりえ…主人公の職場仲間。
■タスク/仲野太賀…主人公の行きつけのバーのマスター。
■坂本純/河合優実…弥生の妹。
■ペンタックス/中島歩…主人公の大学生の頃の友達。
【四月になれば彼女は】ストーリー
「あのときのわたしには、自分よりも大切なひとがいた。それが、永遠に続くものだと信じていた」
四月。精神科医の藤代俊(佐藤健)のもとに、かつての恋人・伊予田春(森七菜)から手紙が届く。
“天空の鏡”と呼ばれるウユニ塩湖からの手紙には、十年前の初恋の記憶が書かれていた。
ウユニ、プラハ、アイスランド。その後も世界各地から届く、春の手紙。時を同じくして藤代は、婚約者の坂本弥生(長澤まさみ)と結婚の準備を進めていた。
けれども弥生は突然、姿を消した。「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」
その謎かけだけを残して−−−−
春はなぜ手紙を書いてきたのか? 弥生はどこへ消えたのか?
ふたつの謎は、やがて繋がっていく。「あれほど永遠だと思っていた愛や恋も、なぜ消えていってしまうのだろう」
現在と過去、日本と海外が交錯しながら、愛する人をさがし求める“四月”が始まる。
引用元:映画『4月になれば彼女は』│「4月になれば彼女は」制作委員会
【四月になれば彼女は】最後の意味は?考察
- 俊が弥生を迎えに行くシーン
- 最後の会話のシーン
最後の意味1:俊が弥生を迎えに行くシーン
“愛を終わらせない方法、それは何でしょう?”
ウユニの病院でハルが亡くなった後のこと。
弥生がお部屋の整理をしていたとき、ハルがしたためた“俊宛ての手紙”を見つけました。
出せないままになってしまった手紙です。
弥生はそれを代わりに出してあげました。
日本で、俊はその手紙を受け取りました。
手紙のなかには現像前のフィルムが入っていました。
現像後に出てきたのは「弥生の笑顔」でした。
このことにより、俊は弥生の居場所を知ったのです。
そして手紙の内容を読んで気づいたのです。
最後の意味2:最後の会話のシーン
最後に、次のような会話があります。
弥生:「よく調べたね」
この会話は何を意味しているのでしょう?
中盤に、俊が弥生に「キリンは1日に何時間寝るの?」と聞くシーンがありますね。
弥生に「本当に興味ある?」と返されています。
弥生は俊の心がここにあらずということを見抜いていたのです。
弥生失踪後、俊は自ら動物の生体について色々と調べました。
これまで上の空だったけれど、心から寄り添ったということなのです。
【四月になれば彼女は】なぜこのタイトルなの?考察
『四月になれば彼女は(April come she will)』という曲があります。
1966年、Simon & Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)のセカンドアルバムに収録された楽曲です。
この曲の歌詞が、映画『四月になれば彼女は』の筋書きのようになっているのです。
April come she will
When streams are ripe and swelled with rain;
May, she will stay,
Resting in my arms againJune, she’ll change her tune,
In restless walks she’ll prowl the night;
July, she will fly
And give no warning to her flight.August, die she must,
「April come she will」│Simon & Garfunkel
The autumn winds blow chilly and cold;
September I’ll remember.
A love once new has now grown old.
原作では、この曲の出番はもっと多く、存在感のあるものとなっています。
さらに原作『四月になれば彼女は』の章のタイトルも「四月、…」「六月、…」という構成になっており、楽曲『四月になれば彼女は(April come she will)』のオマージュになっていることが分かります。
【四月になれば彼女は】原作との違い!(ネタバレ)
筆者が思う原作との違いについて、幾つかあげていきたいと思います。
- 俊とハルが別れた理由
- ハルと弥生の絡み
- 純の性格
原作との違い1:俊とハルが別れた理由
俊とハルが別れた理由が違います。
父親が外国旅行を認めてくれませんでした。
ハルと俊がつき合っている間に、ハルと大島が2人切りでいたので、気まずくなって自然消滅してしまいます。
“俊が、離れていくハルを追いかけなかった”という点では同じです。
原作との違い2:ハルと弥生の絡み
ハルと弥生の絡みが違います。
原作小説でカットされている部分が、映画で補完されていると捉えることができます。
原作との違い3:純の性格
弥生の妹・純の性格が違います。
弥生を探そうとしない俊を責めるニュアンスがあったため、そのような印象になったのだと思います。
純に旦那さんがいるにも拘わらず、セックスフレンドが2~3人入れ替わりでいます。ハルのことも誘惑します。
全体的に、原作の方が複雑・トーンが暗い印象です。
詳細については気になる方は、ぜひご覧になってみてください。
【四月になれば彼女は】ヒロインはどっち?考察
Wヒロインです。
Wヒロインとは、主人公に対してメインヒロインが二人いることです。
ハルは俊の元カノのポジションです。
仮にハルが生きているなら「弥生」といえそうですが、病死していますね。
よって、悲劇のヒロインの立ち位置となっています。
きちんと俊との恋愛エピソードも描かれていて、出演時間も多いです。
また、ハルが出す手紙が主軸となっています。
名前も「春(ハル)」で『四月になれば彼女は』のタイトルとリンクしています。
これらの理由から、ハルもヒロインだといえるでしょう。
【四月になれば彼女は】ネタバレ感想(原作/映画)
正直なところ、原作(小説)の読後は少し疲れていました。
例えるなら、バーで、先輩の人生話を延々と聞いているような気持ちです。
相づちをうって聞き役に徹するものの、内心では「そろそろ、おうち帰ってゆっくりしたいかも…!」なんて考えているのです。
“大人になるにつれ燻る感情、固定概念が生まれること”について考えさせられました。
しかし映画視聴後は、“愛”について考えさせられました。
“四六時十一緒にいない方がうまくいく関係”ってつまりそういうことなのだろうな、とか。
“気を遣わなくていい”のと“コミュニケーションをとらなくて良い”のは別物なのですが、そこをはき違えてしまうパターンも多そうだな、とか考えました。
ヒロインを死なすのはズルいな、と思いました(笑)。
特にハルの出演シーンが雰囲気あって好きでした。
ウユニが舞台なのもいいですね。期待通りの絵で美しかったです。
恋は一瞬。愛は穏やかに続くもの。
「愛とは、季節のように、姿を変えてうつろいゆくもの」「それに寄り添えるのは、一瞬を共にした二人だけ」ということを伝えたかったのだと思います。
小説映画ともに、世間からの評価が高い作品です。
【四月になれば彼女は】最後の意味/原作との違い/タイトルについて考察まとめ
今回は映画『四月になれば彼女は』の考察などについてネタバレ有りでご紹介していきました。
- 最後の意味…俊が「愛」について知り、変わった。
- なぜこのタイトルなのか…実在する曲『4月になれば彼女は』からきています。
- 原作との違い…俊とハルが別れた理由、ハルと弥生の絡み、純の性格 など。
- ヒロインはどっちなのか…Wヒロイン。
という結果になりました。
あくまで個人の考察感想となります。
ご参考になりましたら幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。