映画『近畿地方のある場所について』のストーリー
「行方不明の友人を探しています。」…から始まる衝撃展開の連続!
これは、あなたを”ある場所”へと誘う、近畿の禁忌の物語。
行方不明になったオカルト雑誌の編集者。彼が消息を絶つ直前まで調べていたのは、
幼女失踪、中学生の集団ヒステリー、心霊スポットでの動画配信騒動など、過去の未解決事件と怪現象。
彼はなぜ消息を絶ったのか?いまどこにいるのか?
同僚の編集部員は、女性記者とともに彼の行方を捜すうちに、恐るべき事実に気がついた。
すべての謎は「近畿地方のある場所」へとつながっていたのだった…。引用元:映画『近畿地方のある場所について』公式サイト
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映画『近畿地方のある場所について』ネタバレ考察7選!
考察1:ラストはどういう意味なのか?なにが起こっていた?
ラストは千尋が小沢をまさる様に捧げて、息子(赤ちゃん)を蘇らせたという意味です。
しかし、その息子(赤ちゃん)はもう人間ではありません。
映像から分かるように、手が無数にあり、人の形をしていません。
白石監督や原作者の背筋さん曰く、この作品には「コズミックホラー」要素が含まれているとのことで、その赤ちゃんは、人間よりも高次元の存在といえます。
※コズミックホラー…人智を超えた存在や宇宙の真理に触れ、人間の無力さを突きつけられる恐怖
「もう、全部ダメなんだよ」という佐山のセリフが印象的ですが、まさるさまに関わった時点で、もう人間がどうあがこうが、結果が変わることはないのでしょう。
このセリフは、白石監督の映画『ノロイ』にも出てきます。
原作小説『近畿地方のある場所について』は、この作品に影響を受けて生まれたようですよ。
唯一のあがく方法といえば、「身代わりを差し出すこと」でした。
これが、団地の子どもたちの鬼ごっこのルールにもなっています。
お坊さんは人徳があるため、生き物を身代わりにすることができなかったのではないでしょうか。
考察2:ましら様の正体は?
ましら様の正体は「人智を超えた存在」です。
“私たちに人間には理解が及ばない存在”として描かれています。
なので「何者なのか正体が分からない…」「なんか怖い…」という感情をもったとしたら、まさに制作陣の狙い通りというわけです。
考察3:なぜ佐山や幼女は目玉をくりぬかれたの?
なぜ佐山が目玉をえぐりとられたのかといえば、ましらさまのデザインが土偶だからです。
映画『近畿地方のある場所について』の公式パンフレットによれば、ラストに登場したましらさまは、土偶をモチーフにしてデザインされているそう。
失踪した幼女の両目が黒かったり、最後に小沢が目玉の集合体のようなものに襲われていたことから、これまでの被害者も目玉をくりぬかれていたのかな、という想像になりますよね…。
そして土偶は「子孫繁栄」のために作られたといわれています。
ちなみに、千紘は赤ちゃんを取り戻したのに、なぜか、まだSNSで「情報を募集」をしています。
つまり、彼女の目的は果たされていないということに…。
今後の地球は、まさるさまの子孫でいっぱいになるのかもしれません…という考察です。
考察4:なぜ、あの祠には人形がいっぱいお供えされていたの?
昔話「まさるさま」が、童話ではなく実話だったのでは…という恐怖のメッセージが潜んでいると思います。
昔話「まさるさま」のラストでは、まさるさまの怒りを鎮めるために「まさるさま(石)を祭った」とされています。
そして、現実世界にあった祠にも「まさるさま」とされるトゲトゲの石が祭られていたとされることから、昔話ではなく実話だったのでは…という恐怖が滲んでいます。
人形は「お嫁さん」「赤ちゃん」の代わりと思われます。
つまり、昔話自体が、まさるさまを言い伝えるための媒体で、千紘的な役割をもつ人物により作られたのかもしれません。
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考察5:千紘(ちひろ)はどうなる?
千紘は満足しているようですが、彼女もすでに人間ではないと思われます。
結果的に、千紘はまさるさまのお嫁さんとなったのかもしれません…。
なぜなら、ラストに千紘が抱きかかえていた赤ちゃんは、ふたりの赤ちゃんといってもいいからです。
映画『近畿地方のある場所について』のラストで、まるで千紘が人ではないことを象徴するかのように、グンニャリと顔がゆがんでいましたね。
少なくとも、身近な人を犠牲にしてまでも息子を取り戻したいと願ったそのときから、人の心はなくしていたのでしょう。
考察6:小沢はどうなった?
小沢は死んでしまった、もしくは赤ちゃんのなかに存在し続けていると思われます。
物語の終盤の山のなかで、小沢が目玉の集合体のようなものに食べられてしまうとき、精一杯のばしていた片腕が印象的ですよね。
それはまるで、ラストに赤ちゃんから飛び出た無数の手のうちの一本のよう。
赤ちゃんのなかに、複数の人間の魂が怪異として存在し続けているとしたら、それは死よりも残酷です。
小沢についていえることは、やはり「千紘の策略によって、まさるさまに捧げられてしまった」ということなのでしょう。
考察7:そのほかの謎について
「首吊り屋敷が意味するものは?」
「なぜ、両手をあげていたの?」
「了(あきら)やおふだの意味は?」
「あの行方不明になった四人家族はどうなったの?」
などの謎については、映画の原作小説『近畿地方のある場所について』を読むことで理解が深まります。
読後の原作考察については以下の記事にまとめてありますので、ぜひまた遊びにきてくださいね!
映画『近畿地方のある場所について』が伝えたいことは?
この作品が伝えたいことは、「ジャパニーズホラーの集大成・コズミックホラーの魅力・そして母親の母性はときに狂気になる」ということだと思われます。
人の脳には常にリミッターがかけられているといいますね。解除されるときの実例としては「火事場の馬鹿力」などがあります。
人が「冷静さ」を失ったときに、なにかを超越するのかもしれません。
映画『近畿地方のある場所について』ラストの意味など考察まとめ
今回は映画『近畿地方のある場所について』の謎を徹底考察してみました。
ラストにもう一度簡単にまとめると、
- ラストの意味…千紘が小沢がましら様に捧げ、息子(赤ちゃん)を取り戻した。
- ましら様の正体…人知を超えた恐ろしい存在。
- 目玉が意味するもの…ましら様のモチーフデザイン「土偶」からきている、子孫繁栄のメッセージが含まれている。
- 祠の人形が意味するもの…リアルまさるさんの存在。
- 千紘や小沢のその後はどうなったのか…それぞれ人間ではなくなってしまった。
となります。
ご参考になりましたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。