ジブリ映画『魔女の宅急便』についてです。
『魔女の宅急便』は、1989年に公開されて現在まで永く愛されている作品です。
原作は、児童文学作家の角野栄子さんの小説『魔女の宅急便』です。
ジブリの宮崎駿監督といえば、原作をアレンジするのは有名な話ですよね。
原作者の角野栄子さんもそれを承知のうえ、「タイトルとキャラクターは変えないように」お願いしたといいます。
結果、原作と映画はどう変わったのでしょうか。
視聴者としては気になるところですよね。
ということで本記事では、
「ジブリ映画『魔女の宅急便』は、原作の何巻まで?」
「原作との違いは?」
「なぜそうなったのか考察」
についてまとめていきたいと思います。
『魔女の宅急便』の原作との違いについてご興味がある方は、ぜひ最後までご覧くださいませ。
【魔女の宅急便】映画は原作の何巻まで?
1巻までが映画の原作となっています。
元々『魔女の宅急便』は、雑誌『母の友』で1年間連載連載されていました。
月1で掲載されていたということから、『母の友』には原作1巻分が連載されていたということが分かります(1巻で11話分)。
元々角野栄子さんは、『魔女の宅急便』が映画化された時点では、続きを考えていなかったそうです。何故なら、その先の物語は読者のものだと思っていたからとのことです。
その後、続きを書いてほしいと言われたため、27年間かけて6巻まで発行しました。
【魔女の宅急便】原作との違い5選!
筆者が、原作と映画が違うと感じた点をつらつらと述べていきます。
ネタバレが含まれます。ご注意ください。
- 先輩魔女の設定
- 「魔女の宅急便」のお礼
- トンボとの出会いや性格
- ジジは喋れなくならない
- あのエピソードは無い(最後のシーンなど…)
原作との違い1:先輩魔女の設定
1つ目は、旅立ったばかりのキキが出会う、先輩魔女の設定が違います。
このシーンはインパクトがあるという方も多いのでは。
先輩魔女が恋占いをして働いている街は「風俗街」という裏設定があります。
上から見下ろす街が赤いネオンの風車であり、どこか不吉です。これは「パリのムーランルージュ」がモデルだとされています。
占い師には代わりありませんが、困ったときのお助け屋さんという感じ。
例えば、牛の機嫌が悪いのを歌でなだめたエピソードを語っています。
なぜそうなったのか考察
これは、ジブリ映画『魔女の宅急便』のテーマが深く関係しています。
書籍『ジブリの教科書5』によると、宮崎駿監督曰く『魔女の宅急便』は「現代の社会で女性が遭遇するであろう話を描いた」とのことです。
先輩魔女のシーンは、女性が都会に出て生きていくうえでの悲しい手段の一つを象徴しています。
原作ではそのような背景を彷彿させる描写はないですし、そもそも児童文学ですから健全です。
これらのことから、映画のオリジナル設定だということが分かります。
原作の先輩魔女が飛ぶことが下手なことに関しては、「魔女の力が弱まっている」というメッセージが含まれているように思えます。
また「魔女が空を飛ぶことを仕事とするのが当然ではない」ことを読者に伝える狙いもあるでしょう。
原作との違い2:トンボとの出会いや性格
- トンボとの出会い
- トンボの性格
①トンボとキキの出会いが違います。
街中で泥棒に扮して、警察に尋問されていたキキを助けます。積極的にキキにちょっかいをかけます。
海での出会いです。
トンボは、空を飛ぶ魔女よりも、空を飛ぶホウキの方に興味があります。
②トンボの性格がやや違います。
例えるなら、
という感じです。
ただ、ふたりが互いに惹かれ合う事実には変わり有りません。
なぜそうなったのか考察
トンボについて単なるオタクではなく、刺激的な男の子にしたかったのだと思います。
キキに声をかけるトンボは、仲間たちに「ナンパかよ」と笑われていますね。
これは、渋谷や六本木などの都会で、車を乗り回しているチャラい男たちから絡まれるイメージが当てはまると思います。
キキが失礼な男の子たちに毅然とした態度をとることで、会話にメリハリも生まれます。
一方、大人しいオタク相手だったとしたらどうなるでしょう。
キキから絡んでいくわけにもいきませんし、
本作のテーマとは関係のないところで恋愛ストーリーを並行せねばならないように思います。
原作との違い3:「魔女の宅急便」のお礼
『魔女の宅急便』のお礼が違います。
原作でも、宅急便というお仕事をしているのは同じです。
が、「ご近所づきあい」というイメージが強いです。
例えば、届けてあげたお礼にキキが貰う「おすそわけ」は、食べ物だったり約束だったり、時には思い出だったり。
ほっとするようなエピソードが連なります。
なぜそうなったのか考察
現代は、物々交換では生活が成り立たないことが殆どです。
しっかりお金を稼ぐ描写に変更することによって、現在の社会問題とリンクさせやすくなると思います。
感情移入しやすくなります。
原作との違い4:ジジは喋れなくならない
劇中の降板、ジジが喋られなくなるシーンが違います。
『魔女の宅急便』映画版では重要なキーワードとなっていますね。
なぜそうなったのか考察
宮崎駿監督によると「キキの精神的な自立を読み取り、こうした脚色をした」とのことです。
つまり、精神が幼い者にだけ使える特別な魔法のようなものでしょうか。
一方、原作で「ジジ」が喋れるのはジジが唯一持っている魔法「魔女猫言葉」とされるものです。
この点も大きな違いと言えるでしょう。
本記事では、ジブリ映画『魔女の宅急便』についてです。「ジジが喋られなくなった理由は?」「ジジの最後のセリフは?」「ジジの…
原作との違い5:あのエピソードは無い
幾つか例をあげると、「冒頭の列車のシーンはない」「猫の人形を届けるときに、カラスにつつかれるシーンはない」「人形のフリしたジジを助ける犬は出てこない」「ニシンのパイを届けるシーンはない」など原作との違いは多数です。
最後の「時計台に追撃した飛行船にぶら下がってしまうトンボを救うシーン」もありません。
いずれも映画『魔女の宅急便』の名シーンですね。
原作もジブリ映画も、それぞれ素晴らしい作品だと思わされます。
一応、原作にも「時計台を巡るハプニング」は登場しますが、そのハプニングは映画とはまったく異なるものです。
ひと波乱の末、「キキが街の人に認められた・街で生活することを決意」という点では、同じ終わり方を迎えたと言えるでしょう。
【魔女の宅急便】その後は?
ネタバレ有りです。ご注意ください。
2巻ではジブリ映画『魔女の宅急便』が反映されている
具体例をあげると、
- 街の女の子から「好きな男の子」へのお届け物の依頼を受けるキキ。その子が大人っぽいうえに綺麗なので、思わず嫉妬する。
- おばあちゃんに手作りの贈り物を届けてもらった息子が迷惑がる。
といったエピソードがあります。
これらは「ニシンのパイを届けるシーン」がモデルになっていると考察できます。
前述したように、映画化された時点では続きを考えていなかったという原作者の角野栄子さん。映画ファンのために、サプライズしてくれたように思います。
ジブリ作品の知名度が高いですから、映画から原作に入ってくるファンのために「ギャップ」を弱める狙いもあるように思います。
原作『魔女の宅急便』の表紙イラストについても、キキは元々髪の長い少女でしたが、新装版ではボブカットになり映画に寄せてきています。
2巻は「ジブリ映画の影響を受けている」ということが言えるでしょう。
キキとトンボのその後は?
キキとトンボは結婚して、子宝に恵まれます。
キキとトンボのその後について、巻ごとに簡単にご紹介すると、
- 『魔女の宅急便』3巻…キキがトンボへの気持ちに気がつく
- 『魔女の宅急便』4~5巻…2人は結ばれる
- 『魔女の宅急便』6巻…キキは双子のお母さんになる
となります。
もっと詳しく知りたい方は、試し読みやストーリー紹介の欄を見てみることをお薦めします。
【魔女の宅急便】原作小説の感想レビュー
筆者は、映画『魔女の宅急便』の冒頭で、ずっと親元にいた13歳のキキが旅立つシーンで、別れを惜しまず涙ぐむこともなくあっさり旅立つシーンに違和感を覚えました。
それで原作を手に取ってみたところ、原作ではしっかりと涙をこらえていましたよ。
原作を読んでいると「現代の社会で女性が遭遇するであろう話」がテーマとなったのか納得してしまうのです。
「スカートを短くして」と頼むキキ。
慣れたほうきではなくなんでも新しくして出かけたいというキキ。
大きな町はあぶないと言われて、やっぱり小さな町は嫌だというキキ。
ジジに注意されても「もうちょっと、ちょっとだけ」と海を目指す聞き。
不用心すぎて。足元がふわつくような、ハラハラした気持ちになるのです。
それもきっと大人になった視線で詠むから分かること。誰にでもそういう少女時代がありますよね。
思春期の少女らしさ全開で魅力的(だんだん大人になります)です。
作者が女性と言うこともありそうです、ぐっと共感できる作品でした。
【魔女の宅急便】原作との違いについて解説考察まとめ
今回はジブリ映画『魔女の宅急便』の原作との違いを解説、考察していきました。
原作との違いは、
- 先輩魔女の設定
- 「魔女の宅急便」のお礼
- トンボとの出会いや性格
- ジジは喋れなくならない
- あのエピソードはない
となりました。
その後については、
- キキとトンボは結ばれ、やがてキキは双子のお母さんとなる
となりました。
映画も原作も似ているようで違う、それぞれの良さがありました。
繰り返し観たくなる(読みたくなる)魅力があります。
とくに女性にとっては感情移入できる作品だと思います。
ご参考になりましたら幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。