ネット社会に生きる私たちに突きつけられるのは――「炎上するは誰のせいか?」。
映画『俺ではない炎上』。ミステリー作家・浅倉秋成さんの話題作が、『AWAKE』で知られる山田篤宏監督によって映画化されました。
現代ならではの“大炎上”からの逃亡劇の中に、深いテーマが込められています。
本記事では、
- この映画が伝えたいこと
- 原作との違い
- 筆者の感想レビュー
について解説していきます。
※以下、ネタバレが含まれます。
【俺ではない炎上】ストーリー紹介
主人公・山縣泰介(やまがた たいすけ)は、大手ハウスメーカーの営業部長。家庭も仕事も責任感をもってこなしてきたという自負をもつ人物だ。
ある日、とあるSNSアカウントから、女性の遺体画像とともに「殺人をほのめかす投稿」が投稿される。
フォロワーのリツイートを切欠に瞬く間に拡散・炎上し、そのアカウントの所有者が“山縣泰介である”という疑いが広まっていく。
実名や写真、住所などの個人情報まで晒された泰介は居場所をなくし、周囲を巻き込み混乱に陥っていく――。
【俺ではない炎上】主な登場人物・キャスト
- 山縣泰介/阿部寛:本作の主人公。とある女子大生殺人事件の濡れ衣をきせられ、”俺ではない”のに炎上してしまう。
- 山縣夏実(サクラ)/芦田愛菜:山縣泰介の娘。「サクラ」と名乗り、初羽馬に助けを求める。
- 住吉初羽馬(すみしょー)/藤原大祐:男子大学生。とあるSNSの投稿を拡散し、炎上させる。
- 青江(えばたん)/長尾謙杜:山縣泰介の取引先の社員/小学生時代の夏実の同級生。
- 山縣茉由子/夏川結衣:山縣泰介の妻。パートに出ている。
- 野井/板倉俊之:山縣泰介の部下。
【俺ではない炎上】伝えたいこと(メッセージ)は?※ネタバレあり考察
- 自分を省みることの大切さ
- 物事には長所と短所が共存しているということ(一長一短)
- 自分の言動はそのまま自分に返ってくるということ(因果応報)
伝えたいこと1:自分を省みることの大切さ
本作が伝えたいのは、「自分を省みること」の大切さです。
非を認める勇気は、自己成長に繋がり、未来を変える力を持っています。
本作では、「自分は悪くない」と思い込む一人ひとりの軽率な行動が、誰かの人生を大きく狂わせていきます。
SNSの匿名ユーザーたちの無責任な言葉が泰介を追い詰め、彼は営業部長の地位から一転、職場も家庭も、日常さえも失ってしまいました。
それでもラストで、泰介や家族が「悪いのは自分かもしれない」と省みた瞬間、関係は修復へと向かいます。小さな気づきが、やがて明るい未来へとつながっていくのです。
――責任逃れするのではなく、自分を省みる。その姿勢こそが、人生を前へ進めるカギなのかもしれません。
▶関連記事:小説『俺ではない炎上』時系列/犯人の動機/最後の言葉などネタバレ考察
伝えたいこと2:物事には長所と短所が共存しているということ
本作が伝えたいのは、「一長一短」をどう受け止めるかという問いです。
泰介の場合――彼は厳格で、娘がネットで知り合った相手に会おうとした罰として、一晩倉庫に閉じ込めてしまうような父親でした。それと同時に、娘を守るために自死を選ぼうとしたり、命を顧みず真犯人に飛びかかる父親でもありました。
インターネットの場合――ネットでの出会いをきっかけに事件へと発展するニュースは後を絶ちません。しかしその一方で、友や伴侶との出会いの場として人生を豊かにする側面も確かに存在します。
このように、善と悪は常に表裏一体です。だからこそ「どう選択するか」が人生を左右するのです。
このテーマは、浅倉秋成さんの次作『六人の嘘つきな大学生』にも通じる部分がありますね…!
伝えたいこと3:自分の言動はそのまま自分に返ってくるということ
本作には、まさに因果応報のメッセージが込められています。
なにか問題が起こったとき、それは単なる不運ではなく、案外、自らが知らぬ間に撒いた種の結果なのかもしれません。
物語の終盤で、病室のベッドで泰介は次のように語ります。
“現状は、選択の連続の結果だ”
えばたんが泰介に罪を着せようとしたのも、泰介自身の過去――娘への接し方や、えばたんへの態度が積み重なった結果でした。
この因果応報の流れこそが、作品全体を貫く大きなテーマとなっています。
本作が伝えたいのは、私たち一人ひとりの選択や言動が、未来をつくっていくということ。
省みる勇気、一長一短を見極める目、そして因果応報を忘れない姿勢――それらが、より良い人生を形づくるというメッセージなのではないでしょうか。
【俺ではない炎上】原作との違いは?※ネタバレあり解説
以下、筆者が感じた原作と映画の違いをネタバレありで順にご紹介します。
- 青江(えばたん)について
- セザキハルヤについて
- ラストシーンについて
違い1:青江(えばたん)について
青江の役回りが違います。
違い2:セザキハルヤについて
“セザキハルヤ”のエピソードの有無が違います。
▶関連記事:小説『俺ではない炎上』時系列/犯人の動機/最後の言葉などネタバレ考察
違い3:ラストについて
ラストシーンに違いがあります。
表現方法は違いますが、ラストの意味(“俺は悪くない”という感情が“俺が悪かった”と変化する”)という意味では同じとなっています。
また、全体のストーリーの流れに大きな違いはありません。
【俺ではない炎上】筆者の感想レビュー※ネタバレあり
初日のお昼頃に映画館に観に行きましたが、席は良い感じに埋まっていました!
ミステリー一色ではなく、ユーモアも共存していたのが印象的。実際に観客席で笑いも起こっていました。
1番の笑いどころは、郵便ポストの長ネギが増えていたところ(笑)。
そのほかにも、芦田愛菜ちゃん演じるサクラが包丁を落としたところや(芦田愛菜ちゃんが包丁を隠し持っていても、怖いというより可愛らしい)、
ラストにX(Twitter)ユーザーたちが手のひらを返すところでも、傍のお客さんが笑いを溢していて、私もフフフとなりました。
SNSコメント、本当にリアルでした。原作小説では、ややあくどさがありましたが、映画のコメントは本当によく見かける感じでした。「大丈夫そ?」←とか(笑)。スタッフが吟味したんだろうな、と思いました。
因みに、なぜ小道具が長ネギになったのか気になって調べたところ、原作者の浅倉秋成さんは「とくに深い意味はない」と回答されていました。バランスをとった結果長ネギが選ばれたのだそうですよ。
昔、初音ミクが長ネギを持つ動画が流行りましたけれど、それが由来というわけでもないのです。郵便受けからはみ出ているのがゴボウよりは長ネギの方が色鮮やかで目立つし、面白い。挿し込まれた当事者にとっては面白くないけれど、入れた人たちは笑う…そのバランスを探した結果、長ネギになりました。そこに共感していただけたのはうれしいです。
引用元:SCREEN ONLINE「【インタビュー】逃亡劇に独特の世界観を作った阿部寛『俺ではない炎上』山田篤宏監督、原作者 浅倉秋成氏」
多くの人々が最終的に訴えたいこと――「わたしは悪くない」は核心をえてると思いました。
潜在意識に“責められたくない”という感情が強くあるほど、誰かを叩きがちなのかもしれませんね。
人間や動物のいじめがなくならないのも、生存競争の本能のひとつといいますし……?
元々原作小説のファンでしたが、満足できました。
ただ、強いてひとつあげるなら、セザキハルヤのピンバッチをめぐるエピソードは心に残っていたので、目立たなかったのは惜しく思いました。けれど尺の関係で仕方ないのは理解できるし、やはり面白かったです。
映画『俺ではない炎上』伝えたいこと&原作との違いまとめ
今回は映画『俺ではない炎上』について、伝えたいことや原作との違い、感想レビューまでネタバレありでまとめてみました。
- 伝えたいこと・メッセージは?:「自分は悪くない」について、一長一短について、因果応報について など
- 原作との違いは?:青江の役回りについて、セザキハルヤのエピソードの有無について、ラストシーンについて など
以上、ご参考になりましたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。